反動と分裂
すべての世紀を通じて、教会へと持ち込まれた不純や否定的事柄に対して常に反動した、いわゆる清教徒たち(ピュータリン)がいました。すべての清教徒のうちの、教会の堕落に対する神の反動の中に入る、という意図は良かったのです。ところが彼らは、神の永遠の目標である教会についてそれほど明確ではなかったために、幾つかの重大な誤りをしました。彼らによって成された最大の誤りは、彼らの反動が結果として、一層の分裂となったことでした。清教徒たちを通して反動がある時には、ほとんど常に分裂がありました。実際に、ほとんどあらゆる反動が分裂となりました。反動に次ぐ反動は、分裂に次ぐ分裂を意味しました。最終的に、神の目標が駄目にされました。第二世紀以来、教会の堕落に対するすべての反動に、教会の実行上の表現を持つ、という主の目的を成就することでは、多くの達成がありませんでした。
マルチン・ルターの信仰による義認の回復
宗教改革の時に、主の回復は、一つのはっきりした形態に入りました。マルチン・ルターは神の偉大なしもべでした。主は彼を用いて、信仰による義認についての真理を回復し、聖書を一般大衆に開かれました。主に感謝します。信仰による義認は、完全に回復されました。それは決して、二度と失われはしないでしょう。ルターは彼の命にかけて、この真理のために立ちました。ところが、教会についての真理に来た時、彼は弱くなりました。彼は教会生活を持つという神の真の意図に、わたしたちを連れ戻しませんでした。
ルターは、ドイツ政府と結合するのは誤りであることを認識しましたが、やはりそれを行ないました。この大きな誤りに基づいて、国家教会が生み出されました。ローマ・カトリック教会とギリシャ正教会のほかに、国家教会もあります。すべての国家教会は、英国教会、すなわち、監督教会を除いて、ルーテル教会です。ドイツ国教会、デンマーク国教会、ノルウェー国教会、スウェーデン国教会、英国国教会は、ルターによって蒔かれた種の結果でした。わたしはルターを、主の偉大なしもべの一人として尊敬します。しかし彼の誤りは、もし教会のビジョンと認識に欠けるなら、わたしたちには安全保障がないことを示しています。わたしたちは最善を尽くすでしょうが、それでもやはりある間違いをします。わたしたちの安全保障は、教会を正確に知ることです。
奥義派での内なる命の経験の回復
歴史はわたしたちに、改革の教会、特に国家教会がついに死んだ宗教になったことを告げています。第十七世紀に、主は改革の教会の死と空虚に対する反動として、一群れの聖徒たちを起こされました。ガイオン夫人、フェネロン神父、ブラザー・ローレンスのような奥義派は、内なる命の経験を回復することで、主に用いられました。これらの聖徒たちは、依然としてローマ・カトリック教会にとどまっていましたが、命はその霊による御子の中の神ご自身であることを、認識し始めました。これらの聖徒たちは、内なる命であるキリストについて幾つか知ったとはいえ、彼らには実行的な教会生活はありませんでした。彼らは依然として、ローマ・カトリック教会の領域内にありました。多くの主を追い求める者たちは、ガイオン夫人の自叙伝によって助けを受けました。しかしながら、内なる命をそんなにも多く経験していたとはいえ、彼女は依然としてマリヤの像に行きました。彼女はプロテスタント主義の死に対する反動として神に用いられたとはいえ、教会については明確ではなく、カトリックの中の偶像についてさえ、明確ではありませんでした。
私立教会とフリーグループの形成
教会歴史を通じて、多くのいわゆる清教徒の群れが起こされました。これらの清教徒の群れは、真理についてあるものを見た指導者たちによって形成されました。ある人たちは、正しいバプテスマは浸水によることを見ました。おのずから、これがバプテスト教会の始まりでした。バプテスト派は、多くの私立教会のうちの一つです。それは、ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、国家教会に加えて、いわゆる教会の第四の部類と考えられるでしょう。これらの私立教会は、バプテスト教会、長老教会、メソジスト教会などを含みます。今日では、多くの私立教会があります。いわゆる教会の第五の部類は、フリーグループです。これらのフリーグループは、すべての聖書教会を含みます。聖書教会は、ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、国家教会、どの私立宗派にも属しません。聖書教会の人たちは、聖書に基づいて彼らのすべての実行を持つように努めます。これらの聖書教会に加えて、宗派の外で集会する多くのフリーグループがあります。
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