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ウオッチマン・ニーの証し
『十字架の学課』
(抜粋)


1936年10月20日
今日、まず十字架の学課について証しします。

 あるクリスチャンが、十字架の教えを解説することができても、十字架の学課を学んで真に十字架の道を歩んでいるとは限りません。わたしが同労者たちと組み合わされて奉仕する時、主はわたしのために多くの十字架の学課を備えられました。

 わたしは十字架を主が備えてくださったなら、苦しみがあっても服従し受け入れるべきだと感じました。主は地上におられた時、受けられた苦しみによって従順を学ばれたのですから、どうしてわたしが例外となることができましょうか。十字架の学課を学び始めて8,9か月は、服することができませんでした。後になって、主が備えられた十字架には黙って服従すべきだと知りました。しかし困難な環境が臨むたびに服し難いと感じ、内側ではいつも反抗し少し従うだけでした。後になって、主がわたしのために備えられた十字架は、実はわたしの益のためであったことが徐々にわかってきました。

初期の同労者のうち、5人は幼い頃からの級友でいたが、別の1人は外から来た人で、わたしより5歳年上でした。その5人はいつもこの1人の側に立ってわたしに反対しました。彼らはとにかくいつもわたしが間違っていると言うのです。多くの事は明らかにわたしがした事なのに、その功労は彼らに帰されてしまいます。時には彼らに拒絶されてしまって、ただ山の上に行って神の前で泣くだけでした。それによってはじめてわたしは、「彼の苦難の交わり」(ピリピ3:10)という意味を知り、経験しました。

神を賛美します。このような困難を通して神はいつもわたしを御前に導き、他の人と交わることができない時、神と交わりをさせてくださいました。わたしは救われて2年たっていましたが、まだ何が十字架であるにかわからず、2年後になってこの学課を学び始めました。わたしは以前学校で全クラスで成績はいつも1番でした。今、神に仕えることにおいて、どうして2番になれよう。もし2番に置かれるなら、わたしは不満です。わたしは毎日神に向かって、「この2番には耐えられません。わたしが得る権威と栄光はあまりにも少なすぎます。彼らがみな年上の同労者に味方するのには耐えられません!」と言いました。しかし今日、わたしは自分が遭遇したすべてのために、心の深みから神に感謝し、礼拝をささげることができます。これは主がわたしにこの多くの困難を受けさせ、従順の学課を学ばせるための最も良い訓練でした。ですから、わたしが主に、わたしは2番に置かれることを願います。従わせてくださいと言った時、わたしの得た喜びは救われた時よりも深いものでした。以後の8,9か月の間、喜んで砕かれることを願い、自分の思いでやろうとしたことをやらなかったので、わたしの霊的な道の上で、いつも喜びと平安に満たされていました。わたしの内にいる主は完全に神の御手の下に服されましたので、わたしもそのように主に服したいと願いました。キリストは「神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととはみなされず」(ピリピ2:6)とあります。どうして、わたしの主よりも自分を高くすることができるでしょうか。服従の学課を学び始めたころは、とても難しく思われましたが、後になって次第に易しくなり、神に対して、「わたしは十字架を選びます。砕かれることを願います。自分の意見を放棄します」と言えるようになりました。



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